日常雑記

【オカルティックナイン】コトリバコというオカルト話があるらしい。*怖い話なので注意してね*

*今回は怖い話なので、苦手な人はこのページを閉じてください。

オカルティックナインの第二話で、みゅーポムの親友ちぃちゃんが行方不明になる直前。

ちぃちゃんがSNSに残した最後の言葉は「小鳥ば」でした。

この、「小鳥ば」はちぃちゃんが何か意味があって残した言葉だとは思います。

で、実はこの言葉は、元ネタが「コトリバコ」ではないかと言われています。

今回はこのコトリバコが何なのかをご紹介していきたいと思います。

主には、自分の気になったことのメモ用だけどね!

あ、「コトリバコ」であって「トリバゴ」じゃないからね。

旅行行きたい人が「トリバゴ」でここに来ちゃってたらごめんなさいね!!




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コトリバコって何?

オカルティックナイン
© Project OC9/Chiyo st.inc.

コトリバコは、どうやら2ちゃんねるのオカルト超常現象板という所で発祥したオカルト話だそうです。

コトリ”バコ”というだけあって、呪いの箱のことらしいです。

日本の歴史の転換期に現れたとされる呪いのアイテムらしい。

……日本の歴史の転換期と言われても、多分、転換期となったポイントは一ヶ所だけじゃないと思うのですが、どの転換期なんだろう?

呪いの箱の作り方は大陸から渡ってきたとあるので、国外からもたらされた技術であると思われます。

パッと見は箱根細工のような、寄せ木細工の箱のようなものだそうです。

箱根細工と言うのは、様々な種類の木材を用意し、木材の種類によって色が異なるという点を利用して、その組み合わせによって模様を描く木工の伝統技術です。

コトリバコは人の興味を引くような形をしている、とあるのですが、美しい工芸品の形をしているというのなら、少なからず「綺麗だなあ」と興味は惹かれますよね。

まあ……ここまで聞いて私の頭に思い浮かんだイメージは、ヘルレイザーのルマルシャンの箱なんですがね!

……あれはどっちかって言うとルービックキューブみたいな形ですけどね。

呪いの箱でレッツ復讐劇。

明治初期頃、とある貧しい集落の村人たちが、自分たちを迫害する庄屋に呪いで報復するためにコトリバコは作られたらしい。

隠岐騒動から逃げてきたとある人物から、「最初に作った一個目のコトリバコを僕にくれるなら、憎い相手に報復が出来るコトリバコの作り方を教えてあげる」と村人たちは話を持ち掛けられます。

差別や迫害に苦しむ村人たちは、貧しさから逃れるため、憎い庄屋に報復するため、とある人物からコトリバコの作り方を教えてもらうことにしたのでした……。

コトリバコのレシピ。

まず、箱を用意します。

簡単に開けられないように木を複雑に組んで作ります。

次に、動物の雌の血を箱の中いっぱいに満たして、これを一週間寝かせます。

最後に、その中に子供の体の一部を入れて完成となります。

貧しい村人たちは、子供が生まれても育てることが出来なかったため、泣く泣く「間引き」を行っていました。

要するに、間引いた子供の体を箱の中に入れたわけですね。

いれる体の部位は、その子供の年齢によって変わるようです。

産まれたばかりの子供なら、へその緒、人差し指の先、内臓を絞った血液を入れます。

七つまでの子供なら、人差し指の先と内臓を絞った血液を入れます。

10歳までの子供なら、人差し指の先を入れます。

また、コトリバコを作るときに箱に入れた子供の数で、箱の呼び名が変わります。

1人目を入れるとイッポウ。

そこから順にニホウ、サンポウ、シッポウ、ゴホウ、ロッポウ、チッポウ、ハッカイと8人分まであります。

それ以上の体のパーツを箱に入れると、呪いが強力すぎて作った人間も完成する前に呪われるので、8人が限度らしい。

入れた子供の数で、呪いの強さが変わるようです。

コトリバコの使用方法と効能。

では、どんな呪いがかかるのかと言うと、子孫が絶える呪いがかかるそうです。

使い方は簡単で、呪いをかけたい相手にコトリバコを送り付けて、あとは結果がでるのをひたすら待つだけ。

コトリバコは触れた相手を容赦なく無差別に呪っていきます。

子孫が絶える呪いなので、対象者に関係する女性や子供を次々と呪い殺していくのです。

パッと見はおもちゃのようなデザインをしています、お子様の手の届かないところに保管しておきましょう。

ちなみに、呪いの効果は140年も続きます。

復讐は果たせたけど……

コトリバコによって庄屋に復讐を果たし、差別と迫害から解放されましたが、村人たちはコトリバコを作るのを止めませんでした

今後の自衛手段として確保しておきたかったのかもしれませんね。

しかし、ある日一人の少年が、女性や子供に見つからないように隠しておいたコトリバコを見つけて持ち出してしまい、その子供の家の女子供がその日のうちに死んでしまうという事件が起こります。

村長は事件を重く受け止め、以降は村人を各班に分けて、班ごとにコトリバコを管理させることにしました。

それぞれ神社の中で厳重に保管し、監視を怠らないようにしたのでした。

隠岐騒動ってなによ?

1868年(明治元年)に隠岐国で起こった、松江藩と隠岐島住民の間で起こったトラブルの事です。

食料難で困っているのが見てわかる状況なのに、統治者である松江藩がいつまでたっても改善策を出さなかったので、隠岐の人たちはみんなイラついていました。

その後、鎖国してるって言ってるのに黒船が来て頻繁に開国を迫るようになったので、松江藩は幕府から隠岐国を守れと命令され、アメリカとイギリスから艦船を一隻ずつ買って戦う準備をしました。

しかし、買った船を動かす人員が全然足りない事に気づいたので、松江藩は当時流行っていた「農民を兵隊にしてしまおうキャンペーン」を採用し、隠岐の人たちをバンバン兵隊送りにしました。

隠岐の人たちは、もともと天皇バンザイな人たちだったので、天皇をシカトする幕府が大嫌いでした。

その大嫌いな幕府の犬である松江藩は、自分たちを散々アゴでこき使っておきながら、頼んだことはいつまでたってもやってくれない体たらくぶりだったため、隠岐の人たちはいい加減ブチ切れそうになっていたのです。

挙句の果てには、隠岐を統治していた松江藩の代表者が、出張先の船の中に、武士の誇りである「帯刀」を忘れてくるという、最悪の醜態を晒してしまったため、隠岐の人たちはとうとう堪忍袋の緒が切れて反乱を起こしたのでした。

そして、忘れん坊の松江藩の代表者を3000人の兵力をもって隠岐島から追い出し、天皇バンザイをスローガンに掲げる自治政府を作って島に立てこもりました。

その後、立てこもりながら自治の認定を訴え続けましたが、松江藩にリベンジを決め込まれ、奪還されてしまいます。

しかし、隠岐島の人たちに同情した、薩摩藩、長州藩、鳥取藩の仲介によって、松江藩が撤退し、一時的に自治を許されましたが、その後すぐに鳥取藩の管理下に置かれることになります。

最終的に、隠岐騒動に関与した松江藩と隠岐島民の代表者を処罰して、騒動は収束したという事です。

ざっくり書いたけど、そんな感じです。

意外と怖い話だった。

調べてみたら結構物騒な話だったのでびっくりしました。

実はコトリバコそのものの記事よりも、隠岐騒動の記事をまとめる方が大変だったのは内緒です。

補足的な情報にするつもりだったけど、自分が気になってしょうがなかったので、夢中で調べてしまいました。

なんか色々勉強になりました。

そんなかんじで、コトリバコは見つけても触らないようにしてくださいね。

これまでの考察まとめ。

⇒オカルティックナイン第一話の考察

⇒オカルティックナイン第二話の考察

⇒オカルティックナイン第三話の考察

⇒オカルティックナイン第四話の考察

⇒オカルティックナイン第五話の考察

⇒オカルティックナイン第六話の考察

⇒オカルティックナイン第七話の考察

⇒オカルティックナイン第八話の考察

⇒オカルティックナイン第九話の考察

⇒オカルティックナイン第十話の考察

⇒(番外編)ニコラ・テスラとは?

⇒(番外編)スカイセンサーとは?

⇒(番外編)ボーコードとは?

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⇒(番外編)安命寺の256キロ爆弾は実在する。

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